上善若水 兵形象水

表題にある【上善若水】とは何か?

 

「上善は水のごとし」老子の言葉である。

色々難しい解釈をされているが、私は下記のように解釈している。


無理をせず、自然の摂理に従う事が、人間の道にかなっている。成功の秘訣は、自然の理の中にあり、天地自然の働きに身を任せる事が、最後に勝てる負けない人生なのである。不敗こそ、人生で一番重要なのである。


インターネットでは、下記内容で解説されている。


最上の善とは、水のようなものである。

万物に恵みを与えながら他と争わず、自らは低い位置に身を置く。水とは、あらゆるものに役立ち、決して争うことはない。人の嫌がる所に行ってくれる。だから「道」に近い。

 

「上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し。

水は善(よ)く万物(ばんぶつ)を利(り)して争(あらそ)わず。衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所(ところ)に処(お)る。故(ゆえ)に道(みち)に幾(ちか)し。」

<現代語訳>

「最上の善とは、たとえてみると、水のようなものである。水は万物に利益を与えていながら、円(まる)い器に入れば円くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して他と争わない。そして、多くの人々のいやがる低い位置に身を置く。だから、水こそ「人の道(みち)」に近い存在といえる。(中略)水のように争わないでおれば、他からうらみをかわず、間違いがおこらないものだ。」「道」とは老子の教えの中で云う、万物の本源的なもの、即ち万物の真実です。禅で云えば究極の悟りです。道に達した人は水のようなものです。水は巧みに、すべてのものに恵みを施し、しかもすべてのものと争わず、多くの人々が嫌う場所に好んで就こうとします。まさに水こそ「道」の本源であると云うわけです。

 

 

次に、表題にある【兵形象水(兵の形は水に象る)】とは、どういう事なのか?


以下は、孫子の原文である。

「兵の形は水に象かたどる。水の行は高きを避けて下きに走る。兵の勝は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に、兵に常勢無く、常形無し。能く敵に因りて変化して勝を取る者、之を神と謂う。五行に常勝無く、四時に常位無く、日に短長有り、月に死生有り」

水が地形に応じて流れを決めるように、軍も敵の動きや態勢に応じて動いて勝利する。したがって、軍には一定の勢いというものもないし、常に固定の形というものもない

 


孫子老子も、水に関して述べている。水のような生き方、水のような戦い方が如何に重要かを強調しており、以下の共通価値観がある。

【1】老子~上善若水

①柔軟~円い器には円く四角い器には四角

②控え目~低い位置に身を置く。

③パワー~洪水=小さな流れの蓄積

【2】孫子~兵の形は水に象る

①無形~水が地形に応じて流れを決めるように、軍も敵の動きや態勢に応じて動いて勝利する。したがって、軍には一定の勢いというものもないし、常に固定の形というものもない

②廟算~己の立ち位置・性質を分析し身の程以上のことはしない、目立たない

③勢い~力を貯めて一気に発揮する「勢」

力を溜めて一気に実力発揮するには、努力の積み重ねが重要なのである。

 


水は、柔軟、控え目、パワーの3つの要素を備えている

①水は非常に柔軟で柔らかい

どんな器でも、器の形にそって自分の姿を柔軟に変える。環境にあわせて、自分の姿を変える。

②水は謙虚な特質を持つ

強く自己主張せず、ごく自然に高い所から低い所へ向かって流れる。だから、無理をせず、自らを保ち、長く続けることが可能。

③水は小さな流れでも最後には巨大なパワーを持つ川や海になる。

静かな水でも、沢山集まれば、滝のように巨大なパワーを発揮する。理想的な人生でも、努力を重ねていけば必ず結果がついてくる。どの道においても、プロになりたいのであれば、一定の時間をかける覚悟が必要と言える。

 


私も、水のような生き方、水のような戦い方を今後の人生でしていきたい。

 


柔軟に姿形を変え、常に身の程以上の事はせず、実力を蓄えながら、いざという時に実力発揮していきたい。

 


家康も、水のような生き方をし、柔軟に謙虚に実力を蓄えてきたからこそ、いとも容易く天下統一出来、300年に渡る天下安泰を確立出来たのである。