物事には必ず【原理原則】(道Tao)がある。

表題にある【原理原則】とは、何か?
その言葉自体が、抽象的すぎる。

ネットでは、下記意味合いで記載されている。

まず【原理】と何か?

多くの物事を成り立たせる、根本的な法則(規則)。認識や行為の根本をなす理論。

次に【原則】とは何か?

特別な場合は別として、一般に適用される根本的な法則。

まだまだ、抽象的すぎる。
分かりやすく、ネットには、下記記載されている。

【原理】とは、

・その物事が成り立つための宇宙・自然界の性質(理)
・ 「原(もと)となる理屈」

【原則】とは、

・その性質に対してどのようにするかを人間が決めた規則のこと
・「原(もと)となる法則」、

我々は、「原理・原則」を知らねばならない。

何故なら、 ロジカルに考えるには、、原理・原則で考えてみなければならないからである。
「原理・原則」 を知れば、なぜなぜ分析やPM分析も容易である。
「 原理・原則」を知らなければ、 奇跡的にしか勝つことはない。

原理・原則を理解することが、人生では一番重要である、

原理原則とは、絶対的なものであり不変的なものである。

物事には、必ず原理原則がある。
ビジネスにも、人生の幸福にも
原理原則が存在する。

それは、一過性の手法でもなく、
過去のデータから編み出された法則性でもなく、 時流の変化も関係なく、唯一不変ものである。

世の中には、原理原則というルールを知る人間と、原理原則というルールを知らない人間の2通りしかいない。

ルールを知り、ルールを活用すれば、
そのルールの中で、自分のルールを生み出すことが可能となる。

しかしゲームのルールを知らずして、ゲームを勝つことは不可である。

原理原則を知らなければ、いつまでたっても、サイコロを振って運任せに行動する他ない。

 原理・原則を考えて、問題を解くことで、思い込みよる判断をなくすことができる。
このことは、PM分析の現象の物理的解析や、なぜなぜ分析の原理・原則から解決する最初の「なぜ」につながる。
真因を突き止めることで、また一歩、改善されていく。


ところで、老子の説く人間の生き方とも、無為自然【原理原則】に従うことである。

無為自然とは、この宇宙に貫徹している原理原則に添った生き方をするということである。

その原理原則を「道」TAOと老子は、名付けた。

格闘技も、原理原則に添っている。

格闘技トレーニングは、毎日同じことを単調に繰り返し繰り返しする。
しかし、 格闘技トレーニングは、原則原則に添ってやらねばならない。
パンチする時は、肩甲骨をカクンと落とし足腰の力で打たねばならない。
その原理原則が出来るように、反復練習し、身体で覚え込ませる。

ひたすら同じこと=【原理原則】を繰り返し繰り返し、トレーニングしないと、格闘技試合では勝てないのである。 



我々は、あらゆる分野における「原理・原則」を知らねばならない 。
原理原則に添って生きることこそが、確実だからである。

家康の場合、あらゆる分野の【原理原則】をマスターしようとしていた。

政治、兵法、武術、砲学、薬学・・等

【原理原則】を知る為に、あらゆる分野の専門家を、次々と徳川家臣とした。

【原理原則】に添っていたからこそ、滅びることなく生き延び、秀吉死後、容易く、天下獲得、天下統一出来たのである。