【クリエイティブ】純粋に究めていくとクリエイティブになる。

 

クリエイティブ(creative)とは何か?
:創造的・独創的であること 
「創造」は「新しく物事をつくりだすこと」という意味である。
「独創」とは、「真似をせず自分だけの考えで物事をつくりだす」という意味である。
動詞の「create(創造する)」と、「ive(~の性質を持つ)」の組み合わせである。「創造する性質のもの=創造的、独創的」の意味にした言葉である。

「create」の語源は、ラテン語の「産む、育てる」という意味の言葉であり、新たな命を生む意味が、基本的要素である。

創造も独創も、「他にはない」「新しい」という意味が込められている。
「クリエイティブ」とは、新しくて他にはない物事や考え方に対して使われる言葉である。

クリエイティブと呼ばれる人の特徴を、下記に列記してみたい。
01.
クリエイティブな人は、はいかなる状況でも楽しむのことができる。
それが、芸術的な考えを生み出すことにつながる。
02.
クリエイティブな人の心は、いつも刺激を求めている。だから常に新しい経験を探している。
03.
クリエイティブな人は、自らの作品を通して自分を表現する。
04.
クリエイティブな人は、どんなに小さな変化も見逃さない。
まわりの環境を洞察する能力に優れている。
05.
彼らは自分のまわりを観察することで、インスピレーションを得る。
06.
クリエイティブな人は、様々な視点から物事を見ることができる。
まるで物を手にとって見るように、状況を洞察することができる。
07.
クリエイティブな人は、自分の作品を世の中に見せることを決して恐れない。
自分が作り上げたものに、自信を持っているからである。
同時に、常に謙虚な姿勢で新しいことを学び、挑戦しようとする。

クリエイティブとは、パクる事から始まる。
ピカソには、「優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」と言うた名言がある。
よその優れた作品を「パクる」のは、まったくかまわないとする。

ただ盗むのではなく、そこに自分のアイデアを加えて、組み合わせて、新たなものをつくればいい。それが、正しい「クリエイティブな姿勢」と言える。

。自分がリスペクトする作品を手本として、「どんどんパクって」上達を狙う。


分かったつもりにならず、純粋に究めていけば、クリエイティブになれるのである。

家康の場合、彼もクリエイティブと言える。何千回何万回も、頼朝の生涯を沢山記述された吾妻鏡を熟読し、更に、講師まで招き、講義させたりした。
その吾妻鏡の記載された一部に、源氏長者と言える役職があった。
室町幕府足利義満は、、源氏長者征夷大将軍となり、関白を越える天皇を凌ぐようや最高権威を誇った。

氏長者とは、源氏の中で源氏を統率する最高位である。

家康は、関白秀吉に勝るには源氏長者征夷大将軍になるしかないと、吾妻鏡の書物から知った。

だからこそ、日本を二分割した関ヶ原の戦いを容易く勝利したにも関わらず、天皇の勅命された征夷大将軍の賜りを無下に、拒否したのである。
拒絶し続け、三年後、源氏長者になってから、征夷大将軍に授与したのである。

彼こそが、クリエイティブと言える。


分かったつもりにならず、純粋に究めていけば、クリエイティブになれるのである。

格闘技も、同じと言える。
私の場合、ボクシングしてるが、ジャブストレートフックなて、同じ動作を何千回も練習しているうちに、自分自身のクリエイティブさが出てくる。

辰吉の左ボディーフック、山仲の神の左ストレート。村田の右ストレート、漫画なら、はじめの一歩のテンプシーロールやスマッシュ等、自分自身にしかなりオリジナルのクリエイティブさが、自然と出来上がってくる。

分かったつもりにならず、純粋に究めていけば、クリエイティブになれるのである。

 

【知的好奇心(探求心)】~健康脳・人脈

好奇心(こうきしん)とは何か?


ネットでは、下記記載がされている。

物事を探求しようとする根源的な心。
自発的な調査・学習や物事の本質を研究するといった知的活動の根源となる感情。

拡散的好奇心で興味を持ったものを、ググッと深める。その探求の原動力になるのが、知的好奇心と呼ばれている。

拡散的好奇心と知的好奇心の違いは、そこに「専門的な知識の積み重ね」があるかどうか?である。

要するに、 知的好奇心とは、知識と理解を深めたいという欲求である。

では、 拡散的好奇心とは、何か?
拡散的好奇心とは、特定の目標を定めず新しい情報を幅広く求める状態を言う。

それに対して、知的好奇心(特殊的好奇心)とは、知識と理解を深めていく好奇心とあると言われている。
例えば、1つの物事に興味を持ち、その対象を深く洞察したいという欲求である。

拡散的好奇心が、好奇心の中で、最も基本的なものである。
拡散的好奇心が、知的好奇心に進化するのである。

表面的な理解ではなく、重層的な知識の積み重ねがあるかどうか、それが拡散的好奇心と知的好奇心を区別するポイントと言える。

ここで気になるのは、その拡散的好奇心が知的好奇心に成長するためには、何が必要かということである。

知的好奇心を持つメリットとは、一体何か?

学ぶことで,知識を得るだけでなく,様々な物事を考える際に,新たな視点に気づけたという,気づきの効果を実感出来る。

それにより,一つのことを学ぶと,色々な考える力が複合的にどんどん高まっていき,単に知識を得たということの何倍もの効果を感じられるはずである。

目新しいものに興味を持ち、いろいろな対象に興味を持つ拡散的好奇心は、探究への入り口である。
そしてそこから膨らませ、深めていくのが知的好奇心なのである。


拡散的好奇心は、刺激的なことをキャッチする「拡散型」であり、将来的に、博識と呼ばれていく。

それに対して、知的好奇心は、 一つのことを掘り下げる「収束型」であり、専門的に知見を深めようとする好奇心である。

知的好奇心とは、物事を多角的に検討し、真実を知ろうと検証する。専門家気質の好奇心である。

好奇心の中で、知的好奇心が生きていく中で一番重要と言える。

何故なら、継続し続けていくには、知的好奇心が必要だからである。
結果を求めるだけでは、努力を続けられない。

知的好奇心(と、がんばりを認める心)があるからこそ、行動は継続できる。

表面的な情報を得ているだけでは、物事への興味が失われていく。

知的好奇心こそが、自分自身をぐんぐん成長させる手助けになるのである。

知的好奇心のある人は、謙虚で常に学ぶ姿勢を持っている。好奇心旺盛な人は必ず、謙虚な性質をもっているのである。

知的好奇心を満たすため、いつでも学ぶ姿勢を忘れないからである。
相手が年下でも関係なく、知りたいことを吸収したいからである。

大人になると、自分より年が若い人、立場が下の人から学ぶことが気恥ずかしいと感じることもある。

好奇心旺盛な人の場合、「新しいことを教えてくれるなら年下でも立場が下でも相手は先生」だと思い、敬意を払って相手に接することが出来るのである。

私にとって、知的好奇心とは何か?
独身を貫く為に、一生動ける身体造りをすることである。

年をとればとるほど、身体機能が衰えてくる。運動機能が低下し、歩行困難になる。

いつまでも、アクティブに動ける身体を維持するためには、どうすれば良いのか?

それが、ムエタイであり、ボクシングを初めたきっかけである。

ボクシングの奥深さに惹かれ、今やダイエットと健康維持のために、ボクシングをトレーニングしている。
自分自身は、ヒット&アウェイを使いながら、打たせず打つアウトボクサータイプを目指してきた。

その為には、爪先と足腰を鍛えねばならない。
爪先を鍛えることで、フットワークとヒット&アウェイがより上達する。

足腰を鍛えれば、モーションなしの強いパンチを出せるようになる。

私のボクシングにおける知的好奇心の一つとして、下記三点を得意分野にすべくトレーニングしている。

右ストレート
(爪先まで意識した足腰の回転)

右ボディーストレート(足腰の強化)

坂道ランニングマシン(爪先強化)

私の場合、足腰と爪先を集中的に鍛え、自分自身のボクシングスキルをアップさせたい。
足腰と爪先とを集中的に鍛えれば、老化による身体機能低下にも対応できる。

爪先を強化しておけば、年とっても階段の上りや普通歩行が、容易くなる。
歩く時は、必ず爪先を蹴って歩くからである。

足腰を回転させ足腰を強化しておけば、下半身が動けるわけだから、場所の移動も容易く出来る

家康の場合、彼の知的好奇心は、戦のない平和な世の中を築くことであった。
だから、幼少より、人質時代を過ごした源頼朝の伝記みたいな吾妻鏡を、何千回も熟読し、更に、学者に講義までさせたのである。彼の知的好奇心こそが、秀吉の死後、日本を二分割させた関ヶ原の戦いをたった3日で勝利し、天下統一天下泰平出来たのである。

【独自性】得意分野を貫く専門家

 

独自性とは、何か?

一言で言えば、好きな得意分野を貫くその道の専門家と言えよう。

 
独自性とは何か?
ネットでは、下記記載がされている。

他とは違うことで生まれた個性 (個人性)。パーソナリティー。個人を個人たらしめる特徴のこと 。単独志向の成果

要するに、専門能力を磨き、エンプロイアビリティー(雇用される能力)を高める事こそが、独自性と言えよう。

楽しんで好きなことをやっていると、自分も自然と笑顔になる。
また周りの人も笑顔になって、それぞれの得意な分野を助けてくれる。

好きなテーマを追究すれば、人間関係も良好になる。

今後、個人の価値が重視される時代になると言われている。

オンリーワンの存在を目指す場合、得意なこと1つだけでやっていくのは難しい

独自性のないフィールドでは、たくさんの競合と戦っていかなければいけないからである。

一方、2つ以上の得意分野をかけ合わせれば、ユニークなポジションを獲得出来る。

圧倒的に戦いやすいフィールドでの戦いになるため、その難易度は大きく異なる。

しかし、好きな得意分野を追究し貫くには、長い年月が必要である。

常に、健康であり続けねば、その道の専門家として、専門分野を追究出来ない。

健康は第一の富である。

私の人生目的は、『その道の専門家』になり、自身に自信を持つことである。

私の場合、二つの目標がある。

・独身を貫く事

独身を貫くには、まず健康でなければならない。入院しても身寄りも居なければ、面倒看てくれる人もいない覚悟をもたねばならない。

・物流センター長になれる力量

専門能力を磨き、エンプロイアビリティー(雇用される能力)を高める事こそが、長く働ける秘訣と言えよう。
年寄りを採用するより若手を採用したいのが、会社だからである。

独身を貫くには、強くあり続けねばならない。

常に健康的な身体を維持し、その道の専門家になるしかないのである。

全ての結果は、己次第であり己自身の責任となる。

誰も面倒看てくれない。入院しても身寄りもなければ面倒看てくれる人もいない

50代になれば、特に、定年後を意識しなければならない。定年後までカウントダウンが始まる。

定年後のこれからの人生を楽しむには、好きなテーマを持ち、好きなテーマを学ぶ事こそが、人生を豊かにする。

リストラや定年退職もあるため、老後生活を豊かにするには、金銭的備えが重要である。しかし、金銭的備えだけでなく、知的貯金も有れば、より豊かな老後生活を送れるようになる。

ちなみに、金銭的備えの為に、買うよりじっくり吟味して選ぶ
ゆとりある節約が必要であり、要らないモノは処分し、身軽にしていかねばならない。

知的貯金をするには、趣味を続けていくことである。

(趣味を)続けるには、結果よりプロセス
を重要にする

趣味は、人生を豊かにする。


趣味こそが、好きな得意分野を貫くことであり、独自性となる。

例えば、ボクシングにはいろんな技がある。単なるワン・ツーだけではない。

インファイターやらアウトボクサーやら 、ファイタータイプやらヒット&アウェイタイプ等、様々なボクシングスタイルがある。
どれが正解であり、どれが不正解かはない。自分自身にとって、得意な技と不得意な技とがある。

私の場合、趣味でボクシングをしているが、今後は爪先を強化していきたい。
最終的に、ヒット&アウェイを目指していきたい。

私の2019年(令和元年)10月以降のボクシングトレーニングスケジュールは、下記の通りである。

【月曜日】
好きで得意にしたい分野に集中。

・右ストレート(背中を捻り爪先意識)
・右ボディーストレート(足腰強化)
をかけ50回ずつ。
坂道発進用ランニングマシン(爪先強化)


50代からは、速歩のウォーキングをすれば、健康的になると言われている。
ウォーキングは、足腰を丈夫にし認知症の発症 を抑える。
有酸素運動すれば、アミロイドβというたんぱく質のゴミに歯止めをかける。

速歩で歩く事が重要だから、坂道発進するランニングマシンを今後実践したい。

更に、坂道発進なので、爪先強化になる。

爪先強化するメリットは、下記の通りである。

・爪先重心となりパンチ力アップ

・ヒット&アウェイ

・ステップインジャブ


【火曜日】
トランポリン
爪先強化する為に、爪先での着地

【水曜日】

休み

【木曜日】
キックボクササイズ

【金曜日】
マッサージ

【土曜日】
協栄ジム

ダンベルボクシング

自由シャドー
ジャブで休憩とりながら、ワン→ボディーストレート→バックステップ。フェイントジャブ→ステップイインワンツー→バックステップ→サークリングジャブ。右パーリング→ジャブ→ステップイン1234→バックステップ→1234→足幅広げ接近戦→右ダッキングし、右アッパー→左フック→右アッパー→バックステップ→右ストレート→左フック→右ボディーストレート→右ステップ→右ストレート


【日曜日】
アパート掃除
トランポリン(爪先強化する為爪先着地)

表題にある『得意分野を貫く』について、シュートボクシング格闘家レーナの
言葉が、印象的である。

自分の得意分野を貫けば、自分の武器をモノにすれば、トップクラスになれる。
ただやっぱり、自分の得意技を、得意分野を貫き通していけたらいいなと思います」と、記者会見で「これからは負けることを恐れずに自分の一番強いもので勝負していきたい。打撃をおろそかにしていた部分があって、自分の武器をものにしている選手がトップに上がっているので、私も初心に戻ってSBの打撃を活かした戦い方を確立できるように頑張りたいと思います」と語っていた通り、寝技ではなく本来の姿である打撃で勝負したいとの意思を見せる。

元K1ファイターのブァカオは、ミドルキックが得意であった。
どの分野にしろ、何かしら得意分野が誰にでもあるはずである。
得意分野を貫けば、どんな世界でもトップクラスになれるのである。

物流センター長を目指していきたいなら、あれもこれもと欲張らず、現業務に専念していきたい。

家康の場合も、同様と言えよう。
家康は、吾妻鏡を何千回何万回熟読したらしい。学者まで招き、講義させたらしい。吾妻鏡を通じ、いろんな歴史学政治学に興味を持ち、あらゆる学問を学習していった。

だからこそ、信長秀吉に並ぶトップクラスとなり、信長秀吉死後、容易く天下獲得、天下統一出来たのである。

 

【趣味】上達することで得られる楽しさ

趣味というものは、その人の好きなものである。
趣味というもののおかげで、毎日楽しくなり、その人の人生を充実させる。

しかし、世の中には趣味がなく、休日はゴロゴロしているとか、何事も飽きやすく続かないという人もいる。

しかし、趣味がないそんな人は、人生を損をしている。

趣味を見つければ、楽しく生活することが出来、更に新たな発見や出会いもある。

そこで、今回は趣味を見つけて長続きさせるために必要な手順を紹介してみたい。

・自分の好きなものはリストアップ
・興味あるものはトライ
・兎に角、継続
・深く追究。究明


興味があると感じたら、少しでも試してみることで、予想以上に面白く感じて、好きになるのである。
そして、それが趣味になる。
ある程度面白いと思ったならば、それを趣味として継続してみる。

すぐにやめてしまったら、意味がない。

理由がなくても、兎に角、数か月は継続するようにすべきである。

勿論、最初はなかなか上達しなかったり、うまくできなかったりと満足のいかない結果に終わることが多い。そこであきらめてはならない。

継続してやっていくうちに、上達してどんどん面白くなっていったり、新たな楽しさを見出すことで、より夢中になることができる。
そうすれば、それが、あなたの立派な趣味になっている。

最初は誰もビギナーである。

どんどん趣味のスキルを上達していけば、どんどん楽しくなるのである。

そして、その上達することで得られる楽しさをさらに得るために、趣味に関して深く追求するようになるのである。

専門雑誌を読んだり、細かい部分まで知識を蓄えるようにしたり、上級者向けのスキルの練習をする・・・

スポーツならば、その専門誌や道具のカスタマイズなどがあてはまる。
写真を撮ることならば、光の加減や、カメラの種類など深く追求する事等である。

そうする事で、さらに面白くなり、その趣味を長続きすることがなる。

気が付けば、【一人前の腕前】になっているのである。

具体的に私個人の場合を述べてみたい。

毎日幸せな人を見ると、イライラする。だからストレス発散する為に、私は格闘技を始めた。
格闘技やるなら、打撃系で最強と言われるムエタイを始めた。
しかし、足技がすっきり上手くいかないし、キックにパワーが出ない。

たまたま、スポーツジムでボクシング部が、近くでやっていたので、ストレス発散させる為に入部した。

最初は力み過ぎて、かなり疲れてきた。上達すらしなかった。でもムシャクシャするストレスをミットに打つことで、ストレス発散しようと思い、通い続けた。
格闘技を学ぶより、どうしようもない怒りを溜め込まないように、ストレス発散の為に通い続けた。
ボクシングを続けているうちに、ボクシングの奥深さやら面白さがわかるようになってきた。
奥深さやら面白さがわかるようになると、力み過ぎていた習性も少しずつ、修正されるようになってきた。

以上が、ボクシングを趣味にするようになってきたプロセスである。

まず、趣味を長続きさせるには、「趣味をする→メリットがある」という意識をもつ事である。
「その趣味をすることで、自分にメリットがある」と意識することで ある。

長続きしない理由は、「やらないこと」に心のどこかでメリットを感じているからなのである。


意思の力でなんとかして行動しなきゃならないのでら脳ミソはあっという間に『決断疲れ』を起してフリーズする。

フリーズするとは、思考停止になる」ということである。

例えば、「ダイエットした方が健康にいい」って分かっていてもなかなか続けられない。

なぜなら「ダイエットしないこと」にメリットを感じているから長続きしないのである。

モノゴトが長続きしない時は、

「続けないこと」にメリットを強く感じていないか?
「長続きさせること」にメリットを感じるにはどうしたらいいか?

↑この2つを考えると、長続きするキッカケが作れる。


次に、続けるプロセスで“楽しさ”を見つける

どんなことにも裏と表がある。
「続かない!」と思った時は、「楽しさ」を見つけるようにすべきである。

例えば、運動は、「やりたくねー!」って思っている時は、ただの拷問である。
「体動かしたい!」って時にしたらら快楽になる。

私の場合、ボクシング検定試験を協栄ジムで受けてきたが、何度も不合格だった。検定試験の為に、練習してきたのに、金払って不合格かよ!上達してないのなら、辞めちゃおーかな!お金もったいないし、何も協栄ジムに寄付する義理も人情もないと思っていた時期もあった。

しかし、辞めてしまっては、意味がない。その為に練習してきたことが、全くの無駄な時間になる。

続けるプロセスで、楽しさを見つけると、長続きするのである。
私がボクシングする最大理由は、健康的な身体になる為である。

独身を貫く為には、まず健康で強い身体でなければならない。老後、誰も面倒看てくれないのである。

ボクシング続ける事で、かなりの有酸素運動となり、強くなる身体造りに繋がるのなら、続けるべきであろう。

家康は、数多くの趣味を持ちかなり極めてきた人物と言われている。

薬学では、医者でもないのに、自分の病気を自分自身で調合した薬で、治療してきた。
武術では、柳生新陰流をかなり極めてきた。馬術も猿楽もかなりの腕前であったらしい。

趣味も極めていくと、楽しくなる。上達シテイクト、益々楽しくなる。
今の仕事も、仕事するプロセスで楽しみを見つけられたら、楽しくなる。
仕事スキルも上達してくると、益々楽しくなる。

最終的に、趣味がビジネスになれば、最高なのである。

 

 

戦わずして勝つとは、優れた定石を身につける事なのである。

 

兵法書は、本来、戦争に勝つための道具である。
しかし、孫子が一番大切に考えているのは負けないこと、つまり「不敗」であった。


兵は国の大事なり。(孫子の言葉)

「戦争は国家の重大事であって、国民の生死、国家の存亡が掛かっている。それゆえに細心な検討を加えなければならない、と・・・・。


人類の歴史は、戦争の歴史である。

絶え間ない春秋戦乱の世にあって、同時代の思想家には反乱、非戦に通ずる主張をする者もいた。
しかし、孫子は、戦争のなくならない現実をしかと見すえ、戦争の惨禍(さんか)を極力少なく抑える道を模索した。

それは、武力に頼って敵を殲滅(せんめつ)するのではない。
勝つことより、負けないことを主眼に置いていた。
武力以外の要素も使って、敵を屈服させることであった。

これが、いわゆる「戦わずして勝つ」という孫子兵法の要諦(ようてい)に他ならない。

戦わずして勝つとは何か?

・「不敗」こそ大切
100%勝てるときしか戦わない事

戦うのは、有利な時だけ
勝利を100%確信できる状態の時だけである。

それ以外のときはどうするか、?


・戦わない決断
・やめる勇気を持つ
・逃げることに専念
・+優れた定石(勝つ方法)を身に付けること


「負け組」は、いつの時代でも学ばない人である。
良い定石を学んで覚えた人は、多少賢い人が、知識ゼロで戦う程度なら勝てる。

頭脳が優れた天才でも、定石を知らなければ簡単に負ける。

優れた定石があれば、必ず勝てる。

【定石】じょうせきとは何か?

囲碁で、最善とされる決まった打ち方。転じて、物事を処理する時の、決まった仕方。 
・(定石)囲碁で、昔から研究されてきて最善とされる、きまった石の打ち方。
・ (定跡)将棋で、昔から研究されてきて最善とされる、きまった指し方。
・ 物事をするときの、最上とされる方法・手順。「―を踏んだ捜査手順」

家康も、戦わずして勝つ人であった。
信長やら秀吉やらに反旗を翻さず、ひたすら優れた定石を学ぶことに専念した。

優れた定石とは、信玄兵法、薬学、柳生剣術・・・・である。

だからこそ、秀吉死後、いとも容易く、天下獲得し、長期に渡る天下泰平を保てたのである。

 


 

物事には必ず【原理原則】(道Tao)がある。

表題にある【原理原則】とは、何か?
その言葉自体が、抽象的すぎる。

ネットでは、下記意味合いで記載されている。

まず【原理】と何か?

多くの物事を成り立たせる、根本的な法則(規則)。認識や行為の根本をなす理論。

次に【原則】とは何か?

特別な場合は別として、一般に適用される根本的な法則。

まだまだ、抽象的すぎる。
分かりやすく、ネットには、下記記載されている。

【原理】とは、

・その物事が成り立つための宇宙・自然界の性質(理)
・ 「原(もと)となる理屈」

【原則】とは、

・その性質に対してどのようにするかを人間が決めた規則のこと
・「原(もと)となる法則」、

我々は、「原理・原則」を知らねばならない。

何故なら、 ロジカルに考えるには、、原理・原則で考えてみなければならないからである。
「原理・原則」 を知れば、なぜなぜ分析やPM分析も容易である。
「 原理・原則」を知らなければ、 奇跡的にしか勝つことはない。

原理・原則を理解することが、人生では一番重要である、

原理原則とは、絶対的なものであり不変的なものである。

物事には、必ず原理原則がある。
ビジネスにも、人生の幸福にも
原理原則が存在する。

それは、一過性の手法でもなく、
過去のデータから編み出された法則性でもなく、 時流の変化も関係なく、唯一不変ものである。

世の中には、原理原則というルールを知る人間と、原理原則というルールを知らない人間の2通りしかいない。

ルールを知り、ルールを活用すれば、
そのルールの中で、自分のルールを生み出すことが可能となる。

しかしゲームのルールを知らずして、ゲームを勝つことは不可である。

原理原則を知らなければ、いつまでたっても、サイコロを振って運任せに行動する他ない。

 原理・原則を考えて、問題を解くことで、思い込みよる判断をなくすことができる。
このことは、PM分析の現象の物理的解析や、なぜなぜ分析の原理・原則から解決する最初の「なぜ」につながる。
真因を突き止めることで、また一歩、改善されていく。


ところで、老子の説く人間の生き方とも、無為自然【原理原則】に従うことである。

無為自然とは、この宇宙に貫徹している原理原則に添った生き方をするということである。

その原理原則を「道」TAOと老子は、名付けた。

格闘技も、原理原則に添っている。

格闘技トレーニングは、毎日同じことを単調に繰り返し繰り返しする。
しかし、 格闘技トレーニングは、原則原則に添ってやらねばならない。
パンチする時は、肩甲骨をカクンと落とし足腰の力で打たねばならない。
その原理原則が出来るように、反復練習し、身体で覚え込ませる。

ひたすら同じこと=【原理原則】を繰り返し繰り返し、トレーニングしないと、格闘技試合では勝てないのである。 



我々は、あらゆる分野における「原理・原則」を知らねばならない 。
原理原則に添って生きることこそが、確実だからである。

家康の場合、あらゆる分野の【原理原則】をマスターしようとしていた。

政治、兵法、武術、砲学、薬学・・等

【原理原則】を知る為に、あらゆる分野の専門家を、次々と徳川家臣とした。

【原理原則】に添っていたからこそ、滅びることなく生き延び、秀吉死後、容易く、天下獲得、天下統一出来たのである。

小さな改善こそが強さへの道

表題にある『強さ』とは何なのだろうか?
『強さ』とは、誰もが認めざるを得ない『実力』である。
強くなるとは、実力を高める事と言える。


強くなるには、どうすればよいのか?
実力を高めるには、どのようにすればよいのか?
純粋な気持ちで真っ直ぐに、一つの事を究めていくしかない。
だからこそ、小さな改善の積み重ねしかないと言えよう。


小さな改善をするには、どうすればよいのか?
常に数多くの問題意識と真っ直ぐな目的意識を持ちながら、小さな改善一つ一つに謙虚に取り組むだけである。


問題意識は、人それぞれである。
目的意識も、人それぞれある。
例えば、ボクサー🥊でも、目指している目的意識=ボクシングスタイルが、人それぞれである。


パワーで押しきる、ボクシングスタイルのボクサーもある。しかし、 井岡一翔(いおか かずと )が目指している『打って打たれないボクシング』ボクシングスタイルを、目指しているボクサーもいる。


打って打たせない為には、井岡一翔は、足の運びの練習をしているらしい。。


私もボクシングを練習しているが、やはり、 当たらずに当てるボクシングスタイルを目指している。

 


私個人も『打って打たれない』ボクシングを目指したい。
何故なら、パンチが当たると打たれると、痛いしダメージが残るからである。


最近、私は、爪先で蹴ることを意識した練習をしている。


スポーツジムのマシーンも、階段マシーンを使い、爪先でペダルを蹴る練習で汗をかいている。


フットワークが上手くなるには、爪先での蹴りが強く速くなければならない。
爪先での蹴る力が速ければ、相手の動きに合わせられるし、相手を翻弄する事も可能なのである。
爪先での蹴りを練習すれば、フロントキックや膝蹴りの上達にも繋がる。 


ところで、先ほど、小さな改善をするには、常に数多くの問題意識と真っ直ぐな目的意識を持ちながら、謙虚に取り組むだけと、述べた。
今回、『謙虚』『問題意識』『目的意識』について、具体的に述べてみたい。


1 【謙 虚】


謙虚とはどういう意味か?
『自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。』と記載されている。 
いわゆる、純粋で真っ直ぐと言う意味合いであろう。


純粋に、能力向上に対する貪欲な意欲があるなら、誰もが謙虚になれる。


 下を見て練習している選手は、負けると自分を否定されたような気持ちになる。
自分自身は、強いと自負していているからである。
そして、2~3回も負けが続けば、競技そのものから離れていく。


上を見て練習している選手は、負けると、やっぱり自分は弱かったんだ!と再認識するだけである。
常に、更なる高みを目指しているからである。純粋に貪欲に能力向上を、目指しているからである。
逆に、負けたことに感謝する。


そして、負けた原因を追求し、改善し、どんどん強くなることが出来る。
 
2 【 問題意識 】


問題意識とは、どういう意味か?
『(他の人があまり気づかないが)これこそ問題だと、それをとらえる意識。また、その問題に積極的に取り組もうとする心の持ち方。』と、記載されている。
 
 格闘技を習っている人の中で、半年経っても、一年経っても、あまり進歩していない人がいる一方で、数ヶ月の間にどんどん進歩する人もいる。


その違いは何かと言えば、自分でこういう問題に気付き、修正する意識を持てるかどうかなのである。


どれだけ多くの問題に気付き、どれだけ早くそれらを改善し続けることができるかが、その人の進歩の速度であると言えよう。


今の自分のパンチや蹴りで満足してしまい、改善すべき問題を改善しないままでは、どんなに練習しても強くなれる幅は限られてしまうからである。


 自分で、考えて考えて考え抜くこと
 
結局、一番大切なことは、自分で考えて、考えて、考え抜くことが問題意識なのである。 


常に、問題意識を持ち、その回答を探し求めるのが、日々の『練習』なのである。


どうやったら、強い攻撃が出せるのか?


どうやったら、攻撃を当てられるのか?


どうやったら、相手の攻撃をかわせるのか?


常にテーマを持って練習を続けていくのが一番重要なのである。


3 【 目的意識 】


 人が行動するとき、そこには目的がある。
私も、終身雇用で一生を捧げるつもりで、就職したが、転職する羽目になってしまった。
転職する時、物流倉庫を徹底的にマスターするつもりであった。又やむを得ず、転職する羽目になっても、転職先で、役立つからである。


 人が行動する時、そこには目的がある


家の中で椅子から立ち上がって洗面所に向かう時、歯を磨くとか、顔を洗うとか、メイクをするとか、その時の目的は必ずある。


歯を磨くために洗面所へ行こうと立ち上がった時、「もしかしたら、歯を磨けないかもしれない」と疑いながら洗面所に行く人はいない。 


ボクシングを練習する目的は、人それぞれである。
家を出て練習に向かう時、そこには目的があるはずである。


健康維持でもダイエットでも、それは立派な目的である。
単純に、いい汗を流してキックボクシングを楽しみたいという人もいる。
強くなりたい、試合に勝ちたい。そんな目的で練習している人も多い。
更に、チャンピオンになることを目標にしている人もいる。


それぞれが、それぞれの目的で、ボクシングをしている。
その目的を達成できないかもしれないと疑い始めた人は、ボクシングから離れていく。 


殆どの人は、自分で限界を決めてしまう。
目的を達成できる人とできない人の差は、そうなりたいと思っているのか、そうなる!と決めているかの違いと言える。
痩せて理想の体になりたいと思っている人と、理想の体になる!と決めている人の違いとも言える。


強くなりたいと思っている人と、強くなる!と決めている人の違いとも言える。


「なりたい」と思っている人は、どれくらいやったら、そうなるんだろう?本当にこれでそうなれるのかな?と考えることが多い。
逆に、「なる!」と決めている人は、なれるのかな?という疑いの気持ちを持たない。
「なる!」と決めている人は、そうなるにはどうしたらよいのかを考え、そうなるまでやるだけ!と考えているだけだからである。


では、私自身における『目的意識』『問題意識』最後に『謙虚』になれる理由を下記に述べてみたい。


まず、私の『目的意識』は、生涯独身であり続けることである。
一生独身で、独り暮らしをするつもりである。子供が要れば、養育費も膨大にかかるし、まして受験戦争で苦しむからである。私も受験で苦しみもがき苦しみ、二浪までしてしまった。周りが幸せに見え、誰とも交流しなくなってしまってた。


次に、私の『問題意識』とは、独りで生き抜いていける強靭な身体造りである。


生涯独身とは、家族も身寄りも居なくたった独りだけで生き抜いていくことである。誰も頼れず、誰も介護してくれない。全て、自身で考え自身で判断していかねばならない。認知症になることも、許されないのである。


独りだけで生き抜いていく為には、強くなければならないのである。


介護の必要ない強靭な身体を、維持向上していかねばならない。そのためにも、私は、ボクシングを練習している。


最後に、私の『謙虚』について、述べてみたい。私は、生涯独身である。
この世で、たった独りだけで生き抜いていく所存である。


独りだけで生き抜いていくには、己の能力だけが頼りである。


能力が命運を握る。


何故なら、たった独りだけで生き抜いていく生涯独身を貫くからである。


能力向上させ、実力を高めるには、常に謙虚な気持ちで対応するしかないのである。


更なる高みを目指すにはストイックになるしかない。


組織では、人が人を評価する。
評価は、評価するその人の相性次第である。仕事をしっかりやっても、相性が悪いと、正当には評価されない。
だからこそ、私は転職せざるを得なかった。
捨てる神あれば、拾う神もある。と言う諺は、組織では死語である。勢力ある人がつけた評価を、自身の立場を保持する為に盲判(めくらばん)に同じ評価をしていくだけだからである。
最初の企業では、『嘘つき』が、評価である。仕事もきちんとこなそうとしてきたのに、『嘘つき』はあり得ない評価である。嘘つきとは、仕事したふりして仕事せず誤魔化したと言う評価である。


まして、それが、盲判(めくらばん)で、評価を素通りさせてたから、正に開いた口が塞がらない。


しかし、どこに行ってもやっていける実力だけは、裏切らないのである。


家康の場合も、『目的意識』『問題意識』『謙虚』を、重大視していたはずである。


まず、家康の目的意識とは、軍旗『 厭離穢土欣求浄土 』と言える。
戦争のない世の中を造ると言う、意味合いである。


 「厭離穢土」は、苦悩や欲望でまみれた(穢れた)この世(穢土)を厭い離れたい(厭離)と願うことである。
特に戦国の世は、自分の欲望の達成のため人を殺してでも手に入れようとする世の中である。
そんな世の中は「嫌だから離れたいー!」ということであろう。


そして「欣求浄土」は、穢土な世の中からさよならし、浄土の世界(仏の世界)を心から喜んで(欣んで)願い求めるという意味である。
 早く、こんな戦国の世などおしまいにしてしまい、浄土の世界に生きていたい!
と言う全うな願いを求めていくことであろう。


次に、家康の問題意識と言えば、徳川軍団を最強にすることである。徳川家は、弱小大名だから、家康は、幼少時代は、人質であった。織田の人質となり今川の人質にもなっていた。
徳川家康が、実力最強なら、徳川家から人質を出す必要がなくなるからであろう。


最後に、家康の『謙虚』さである。
徳川家を実力最強にする為に、優れた人材を敵味方問わずに、徳川家臣にしたことである。家康自身も、勉強家であった。信玄に大敗したが、プライドをかなぐり捨て信玄の部下を、徳川家臣にしてしまった。正に、謙虚でなければ出来ない所作である。


実力こそ最強である。
実力向上させるには、やはり、小さな改善を積み重ねるしかない。


小さな改善こそが強さへの道なのである。